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                                                             2014.10.31                              
苗場に日本最長のゴンドラがあるというので、空中から紅葉をみようと10月の晦日に出かけた。

関越自動車道の月夜野ICを出て三国街道(国道17号線)を約1時間、55ものカーブを曲がり
ながら登っていくと苗場スキー場に着く。

懐かしい景色である。ここはスキーに何度も訪れた場所である。
 シュネーというバスターミナルに駐車して、バスで田代ロープウェーに向かう。

ここがその山麓駅である。91人も乗れるという大型のロープウェーに乗って田代高原まで一気に登る。





写真はクリックすると拡大されます

麓付近は紅葉真っ盛りである                清津川が流れる二居渓谷は眼下である

  




高度が上がるにつれて遠くの山並みも見えだす        二居ダムを見下ろす地上高は230mと高い。                     






八海山などの越後三山方面も見えだした






10分約2kmロープウェーに揺られると山頂駅である。ここから田代高原のドラゴンドラ山頂駅まで20分ほど下る。




山頂からの景色



 


田代山頂駅からドラゴンドラへの道            遠くに苗場スキー場が望める           






田代高原には田代湖(人造湖)がある




レストラン・アルム                          






ここからドラゴンドラで5.5kmの空中散歩が始まる







二居湖の水面は神秘的だ                       ゴンドラはアップダウンを繰り返しながら進む






ある時は急降下し、そして登る




清津川すれすれまで下降すれば清らかな流れと出会い





景色は刻々と変化する



 


25分の空中散歩をするとやがて麓駅が見えてくる

 
 




スキー場は雪を待っている

 


ロープウェーは搬器に車輪がついていてロープ上を滑走するが、ゴンドラはロープに搬器が固定されていてロープが運搬する。

ロープウェーは大型で100人程も乗れるが、ゴンドラは小型で10人以下が多く、ロープに固定されているので急こう配でも大丈夫だ。



 
 
 
 ドラゴンドラの詳細はこちら →     ドラゴンドラ


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                                14.10.9
かっぱ橋道具街で「かっぱ橋道具まつり」が開かれていたので覗いてみた。
 浅草通りの菊屋橋から言問通りの金竜小学校前までの南北870mの間が「かっぱ橋道具街」と呼ばれ、
通りを挟んで両側に食器具・包材・調理器具・食品サンプル・食材・調理衣装等の問屋が軒を連ねている。


 
       → 写真はクリックすると拡大されます

浅草のすぐ近くで、銀座線なら田原町下車ですぐである。スカイツリーも横の通りから直ぐ近くに見られる。

  



小規模な店がぎっしりである。基本的には問屋なのだが小売りもやっている。
ホームセンターの大規模なものにはかなりの台所用品の品揃えがあるのでそちらで選んだ方が便利だろう。





包丁などの種類はこちらの方が断然種類は多い。ヘンケルの刃物から堺や関のものまで何でもありだ。




問屋流の商品の展示が主流であり、百貨店や小売店のような展示はしていない。雑然と商品を積み重ねて
いる感である。



台所用品、キッチン用品なら何でもありだが、食品サンプルは圧巻だ。沢山の冷やかし客が見たり触ったす
るので仕方がなかろうが、全てラップに包まれている。本物顔負けの作品となっている。




外国にはこうした見本の展示がないので、外人には興味津々と言ったところだ。






このおでんや丼物の良く出来てること!




寿司や野菜、ケーキや饅頭そして魚にスパゲッティと天ぷらと本物そっくりそのままに作ってしまう技術
には関心させられる。




とにかくご覧頂こう!




魚のサンプルも見事なものだ。







陶器の食器も色々あるが、これは陶器の里の「陶器市」にはやはりかなわない。





問屋街らしく道の両側はコインパーキングがづらりと並び、納品やら買付の車がビッシリと停まっている。





スカイツリーもすぐ向うであり、2km先にある。




道具まつり期間中という事で、2,3割引きで売っていた。

 

よほど道具に凝る場合でなければ、わざわざここに買いにくる事はないだろう、というのが感想であります。

定年後7年ほど料理教室へ通ったのだが、趣味程度な料理なら道具はそこまで凝ることもないのではと
思っている。浅草まで来る事があれば、フラッと寄ってお気に入りの刺身包丁でも買ってみるのもいいか
も知れないネ。




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                                      2014.9.25
「柘榴坂の仇討」という映画が公開されている。
浅田次郎が2004年に発表した短編集「五郎治殿御始末」の一編の映画化である。万延元年(1860
年)3月桜田門外の変で大老の井伊直弼が殺害されたが、主君井伊直弼の近習でありながら、主君
を守り切れなかった彦根藩士志村金吾は切腹も許されず、主君の仇を討つよう藩命を受ける。井伊
を襲撃したのは水戸浪士17名と薩摩浪士1名の18名であり、襲撃時に斬られた者2名、自決し
た者4名、切腹したもの7名、行方不明のもの5名であった。

事件から13年の歳月が流れた明治6年(1873年)、仇討の機会を待って、時代が大きく変
わっても武士としての矜持を持ち敵を探し続ける金吾はようやく最後の水戸浪士を見つけるも仇討
禁止令が出されて仇討が出来なくなってしまう。これまで水戸浪士側から見た小説・映画は幾多も
あったが、彦根浪士からのものは殆ど無かった。安政の大獄を実施した井伊直弼に対する人気は皆
無であったからだろう。我が郷土の備中松山藩主板倉勝静もこれにより御役御免の処分を受けてい
る。常に歴史観は政権を取った立場から都合の良いものに変えられてしまうものであり、尊王攘夷
も勤王佐幕も両面から眺めなければならない事だろう。実際にこのような事があったかどうかは知
らない。
  
一方「遺恨あり」というこちらは明治13年(1880年)に実際に起きた仇討のTVドラマであ
る。こちらは吉村昭の短編小説集『敵討』所収の「最後の仇討」のTV化である。2011年にテ
レビ朝日で放送された。

これは日本最後の仇討で、「臼井六郎仇討事件」を描いたものである。筑前の秋月藩(福岡藩の支
藩)の執政臼井亘理は開明派だったが、旧主派の反感を買い、明治元年(1868年)国家老の命
を受けた干城隊の襲撃を受け、妻ともども残忍に殺害される。藩の裁定は干城隊の犯人を罰せず、
逆に臼井家を罰するという不条理なものであったため、亘理の息子臼井六郎は仇討の決意を固めて
父の仇の一瀬直久を探し求め上京する。ところが上記「柘榴坂の仇討」にもあるように、明治6年
に「復讐禁止令」が出され、廃刀令により帯刀も認められなくなった。武士は士族となって失業者
にならざるを得なかった。これ以降の仇討は謀殺罪とされ死罪と決まった。

上京して山岡鉄舟に剣術を習い、ようやく探し当てた一瀬直久を見事討ち果たす。ところが時は明
治13年で、「復讐禁止令」が出て7年も後の事であり、判決は死罪のところ、士族であるとを理
由に終身刑の判決となった。後に明治憲法発布の恩赦で10年の服役で保釈された。また母親を惨
殺した萩谷伝之進も、六郎の仇討に恐れおののいて半狂乱となって首吊り自殺してしまう。


写真は臼井六郎である。
  




明治14年9月22日の東京裁判所の判決書



臼井六郎 (wikipedia)

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